なぜ芸術の「技術」は普及しにくいのか

レオナルド・ダ・ヴィンチの科学的手法

ルネサンス時代で有名なレオナルド・ダ・ヴィンチは、自身の著で「科学と芸術の融合」を唱えていました。
どうやら彼は、科学的な手法を芸術分野に持ち込むことに熱心だったようです。ダ・ヴィンチは長い間、本職が画家ではなく、建築や土木の設計、工事監督をやっていたことがありました。

 

また設計だけでなく、数学にも非常に強く、ほかに天文学や音楽なども得意だったようです。
画家というのはいつの時代でも生計を立てるのが難しいようで、ダ・ヴィンチも例外ではありませんでした。彼は一時、戦争の参謀として自身を売り込んだこともあるくらいです。彼は非常に多彩な能力を持っていたことで知られています。

 

ところで科学的手法とはどういう意味でしょうか?

 

 

科学は再現性を重視する

科学と芸術の大きな違いに、再現性という問題があります。
再現性というのは、簡単にいうと「この方法をほかの人が真似すればまったく同じことができる」というものです。

 

2014年に、ある科学分野の博士がSTAP(スタップ)細胞という特殊な細胞を発明したことで話題を呼びました。
しかし後に、この細胞は存在しなかったことが明らかになり、これもマスコミその他が大きく取り上げ、大きく話題を呼びました。

 

何が問題だったのかというと、スタップ細胞を発明したら、まずは論文でスタップ細胞の作り方を詳細に解説します。
次にそれを読んだ世界中の科学者たちが、その論文に書いてあるとおりに実験を行い、同じようにスタップ細胞が完成すれば「この論文は正しい」となるのです。完成しなければ「間違い」です。

 

当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、実はこれこそが多くの人が「科学」の意味を暗黙のうちに理解している証拠なのです。同様のことを芸術分野で発表しても、意味がありません。
たとえば有名なピアニストが、ピアノの弾き方を解説して「このようにすればみんな私と同じように弾けますよ」といったところで、誰も真似できないでしょう。

 

科学というのは「何かを行うプロセス」が最も重視され、基本的には「同じことをやればみんな真似できる」こととなります。

 

一方、芸術というのは真似できないスキルに価値を置くことが多いです。つまり「天才のあの人にしかできない」からこそ、彼は芸術家だと呼ばれるのです。
誰にでも真似できるようであれば、それはたいした能力じゃない、という考え方です。
たった一人にしかできないからこそ価値があります。科学の再現性とは対極にある概念です。

 

 

再現性のある美術スキル

美術や音楽なども芸術分野に関しては、再現性のあるスキルや教育法を、多くの人は知りません。そもそも学校でそういった教育を受ける機会がないからです。
美術の学校や美術教室に行けばそういう教育が受けられるかもしれませんが、数学や英語のスキルはふつうの学校で十分身につくのに、なぜか芸術分野は、なすがままにしているとほとんど身につかないのは困ったものです。

 

科学の論文と同じように、「誰もがそのようにやったらうまくなれる」というような手法が、芸術分野にもあります。これを習得するのがこのウェブサイトの目的です。
このウェブサイトでは「ただたくさん練習すればうまくなる」とか「うまくならないのはお前に才能がないからだ。どうしようもない」というようなことは絶対にいいません。
数学の教育と同じく「これを身につければこのスキルが身に付く」というだけです。もちろん勉強をサボれば身につかないのは、数学と同じですが。

 

 

楽しいかどうかは考えない

なぜか学校で行われる芸術分野の勉強は「楽しむこと」を重視しているようです。しかしこれはほんとうにそのようにすべきでしょうか?
数学のスキルを身につけるのに、数学が楽しいかどうかなどとは考えません。私たちは小学校や中学校で、「数学の勉強を楽しむべきだ」とは教えられてきませんでした。
楽しいかどうかではなく、ただスキルを身につけさせるのが目的なのです。試験ではただ、スキルが身に付いたかどうかだけを見ます。数学の勉強は苦痛だったという人のほうが多いのではないでしょうか。

 

しかしながら「勉強は苦痛でも将来役に立つ」というのが数学や英語の勉強なのです。そしてこれは将来、実際に役に立ちます。

 

ところで美術や音楽に関しては、「好きなものを描け」「好きな歌を歌え」といいますが、これは数学などの勉強の指針とは明らかに異なっています。
もし芸術分野の教育が数学や英語と同じように重視され、必ず身につけるべきで将来役に立つと思われているなら、まず生徒に好きなことなどやらせずに、ひたすらスキルの習得のみやらせるでしょう。生徒が楽しいかどうかなど考えもせずにです。

 

そしてそれは多くの人が望んでいることではないでしょうか。
私は小学生の頃、絵がとても下手でした。写生大会などで、廊下にみんなの絵が貼りだされたりすると、皆が私の絵を指して「こいつの絵が一番下手だ」などといわれたりしたものでした。

 

うまくならないと、楽しくないのです。私は絵が苦手だったので、美術の時間は苦痛でした。

 

正直言えば当時、好きなものを描くかどうかなどどうでもよくて、とにかく絵がうまくなる方法を教えてほしかったのを覚えています。
その練習が苦痛だったとしても、もしそのやり方で絵がとてもうまくなれるのであれば、私は美術の時間に満足していたでしょう。

 

これからこのウェブサイトで述べることは、難しいこともたくさんあります。
そしてこれを読んでいる人たちが「楽しいかどうか」というのはまったく考えていません。正直、勉強自体はかなり苦痛かもしれません。
しかしとにかく上達することだけを考えています。楽しいかどうかではなく、絵がうまくなればそれでいいとお考えなら、きっとこれからの解説はあなたを満足させるでしょう。