勘に頼らずに描く方法

勘(カン)とは何か?

絵の上手な人は「カンがいい」とか「センスがある」などといわれます。絵の下手な人は「カンが悪い」「センスがない」といわれます。ところでこの違いはなんでしょうか?

 

カンがいいというのはきれいな配色ができるなどの意味を持つこともありますが、それよりも多くの場合、絵が上手というのは「正確に描ける」ことを意味します。
正確に描けないことが「カンが悪い」とか「下手」という意味だと、通常は考えられています。

 

ところで「正確に描く」とはどういうことでしょうか?

 

 

「正確に描く」とは?

美術において「正確に描く」という意味をもう少し詳しく分析してみましょう。

 

通常、美術というのは「目で見たものを紙に写し取る作業」と考えられている面があります。美術はさまざまな表現手法がありますが、とりあえず初心者にとって最初の上手下手の基準は、「正確に紙に写し取れるか」です。

 

このスキルを「模写」と呼びます。何も見ずに想像で描くのとは異なりますが、共通する部分もあります。たとえば頭の中で映像を想像する過程は、模写でも創作でも同じです。

 

 

模写の「感覚」

模写というのは感覚的にはどういうことをやるのかというと、まず目で写し取る対象を見ます。
そしてその映像を脳に記憶しておき、次に紙を目で見て、先ほど見た映像を紙に投射します。真っ白な紙の上に、先ほど見た映像が「紙に写っていると想像」します。そして「その紙に写し取った映像をできるだけ忠実に鉛筆でなぞる」という手順です。

 

このように考えると、模写の完成度はまず「目で見た映像をどれだけ正確に詳細に記憶できるか」という能力、次に「映像を紙に投射する能力」にほぼかかっていることがわかります。
必要なのは「脳」の力、主に視覚的な記憶力であり、手を動かす能力ではありません。
脳の力、とりわけ視覚的な記憶であり、「脳に映像をとどめておく力」と「とどめた映像を目の前に投射する力」の2つです。

 

(よく美術をやっている人が「指が覚えている」などといいますが、これは単に記憶した動きをそのまま出しているだけであって、模写のスキル、あるいは創造のスキルとは厳密には無関係なものです。鉛筆や木炭デッサンなどの「タッチ」などは指の記憶も重要ですが、形状の正確さとはあまり関係ありません)

 

では正確に描けない人というのは、これらの脳の力が生まれつき弱いのでしょうか?カンのいい人はこういった能力が生まれつき強いのでしょうか?

 

答えはおそらくノーです。
実は認知心理学などの実験で、映像や文章、数字などの記憶力を測定する試験などがあるのですが、これらはどんな人がやってもそれほど変わりません。
人間の記憶力というのは、誰がやってもさほど変化がないものです。

 

たとえばよく知っている風景などを取り上げて質問してみたとき、美術部の人だけとりわけ細かく覚えていたりするでしょうか?職場や学校などよく知っている共通の風景を想像してみたとき、絵の上手い人だけ窓の形や樹木の位置などを正確に記憶しているとか、そういうことがあるでしょうか?

 

私は絵の上手い人とたくさん交流してきましたが、絵がうまいからといってふつうの人よりも映像記憶がずば抜けて優れている、というようなことはありませんでした。

 

では記憶力が大して変わらないのに、なぜ絵の上手い人は正確に模写ができるのかというと、正確に写し取るためのコツがあるのです。
コツというのは記憶力が強いという意味ではなく、むしろ記憶力以外のところでいろいろ知っている、という意味です。

 

 

記憶力以外の「技術」

たとえば人間の頭部に関していえば、成人の場合で正面から見たときを仮定しますと、頭部の縦の長さは約24センチ(髪含む)で、横の長さは耳を含まなければ約16センチです。
個人差は少々ありますが、だいたいこの長さだと事前に知っていれば、正面から見たときの顔を描くときはかなり正確に描けるようになるわけです。

 

まして模写ではなくて創作の場合、標準的な頭部の比率などをまったく知らずにそれらしく描くのは相当に難しいものです。知っているとかなり楽に描けます。

 

このような記憶力に頼る以外の技術をたくさん覚えておけば、絵を描く上でかなり有利になり、上手に描けるようになります。

 

そしてこれが重要なところなのですが、そういった「記憶力以外のコツ」こそが「技術の練習」なのです。

 

何かといいますと、視覚的記憶力というのがほとんどの人間でそれほど変わらないという事実がある以上、ここを鍛えてもしかたがないのです。鍛えてもたぶんさほど伸びません。
そして記憶力というのは脳の力なのであって、練習して上達するような「技術」ではないのです。

 

ほかの分野でたとえると、難しい数学の問題、たとえば難しい微積分の問題を解ける人は記憶力がいいわけではなく、微積分の技術や理論を知っているから解けるのです。これは生まれつきの脳の力によってではなく、長年かけて訓練してきた成果です。

 

また作曲をするとき、よく「旋律がひらめかないから才能がない」などという話を聞きますが、これも実は間違いです。
実は作曲のできる人ほど、ひらめき以外の部分が強いのです。ほんの少し旋律の一部分を思いつくと、そこからさまざまに展開して長い曲を作り上げていきます。これは長年の練習のおかげであり、脳の特定の記憶力やパズル的なカンが生まれつき強いというわけではありません。

 

絵の上手な人はむしろ、最小限の記憶力を使うだけで、後は鍛え上げた練習の力を使って絵を描いていく、というのが本当のところなのです。極端な話、カンに頼らなくても上手く描けます。

 

これから解説していくのは、視覚的記憶力を鍛える方法ではなく、こういった美術の「技術」の話です。

 

次の項では、これらは私が勝手に名づけた呼び名ですが「サンプリング法」と「数値計測法」という方法を紹介します。