学習と記憶

ここで一つ、勉強のしかたについて私の考えを述べておきたいと思います。

 

これまで何度も述べているように、スキルの習得は計画的に行わなければなりません。でたらめにひたすら量をこなすのは、非常に効率が悪いどころか、むしろ下手になる方向に進んだりすることもあります。

 

 

ピアノの例

音楽の例を出しますが、よくピアノの弾き方は、よい先生に習わないとうまくならないといわれます。
ピアノだけでなく、おそらくは楽器全体がそうなのでしょうが、とりわけクラシックな楽器(ピアノやバイオリンなど)は、我流では上達しないといわれています。なぜでしょうか。

 

あるピアニストが書いた本を読んだことがあるのですが、「間違った弾き方で練習すると、間違った弾き方が見についてしまう。それを矯正するには、ふつうに練習するよりもはるかに時間がかかってしまうから、間違った弾き方をやるのは百害あって一利なし」とのことでした。

 

私はピアノを弾くこともあるので、これはよくわかります。私は長年我流でピアノを弾いてきたため、悪い癖がついてしまっています。
なので、速い曲になるとまるでうまく弾くことができません。何度やってもつっかえてしまいます。

 

おそらく、私よりも先生に習いながらピアノの練習をしてきた小学生のほうがずっとうまく弾けるでしょう。
さらに私がこれからピアノの先生について練習したとしても、悪い弾き方が体に残っているため、これを打ち消して新しい弾き方を体に覚えさせるためには、何も知らないよりもさらに時間がかかることでしょう。

 

 

記憶について

人間の記憶というのは、いいか悪いかを区別しません。記憶は記憶する対象を選択できないのです。

 

ピアノの弾き方を例に取れば、「この弾き方は悪いからすぐ忘れよう」としても、忘れられないのです。
すでに記憶してしまった指の動きは簡単に忘れることはできず、正しい弾き方を新しく覚えたとしても、弾いているうちにまた以前の悪い弾き方が出てきます。そして正しい弾き方と悪い弾き方がごちゃ混ぜになり、さらにおかしな弾き方になってしまいます。

 

記憶を新しく上書きするのは時間がかかりますし、完全に上書きし切れないこともよくあります。

 

よく「たくさん練習すればうまくなる」といいますが、もう少し正確にいうと「たくさん練習すれば、そのパターンはよく体に記憶される」ということです。

 

美術でも、何度も絵を描くことで、その指の動きや映像のパターンをたくさん、強力に記憶することができます。
しかしその指の動きが、仮に「間違い」であったとした場合、間違いを正して新しい動きを覚えようとしても、ピアノの演奏と同じく、なかなか身に付かないことでしょう。

 

美術は楽器の演奏ほどには「間違った記憶」による影響は少ないと思われます。運動の正確さを矯正するのは困難ですが、鉛筆の指の動き程度なら意識の持ち方しだいで変えることはできるでしょう。

 

また美術では、楽器のように一瞬の動きのミスが命取り、というようなことはほとんどありません。
これから述べる、数値を計測しながらやる方法などは、間違った記憶に影響される割合も少ないです。

 

それでも何も考えずに、ただ量をこなしているだけでは、単にそのパターンを強固に身につけているに過ぎません。
その中に新しい学習要素がなければ、「強固に身に付く」以外の成長はないのです。