習慣を変化させるための技法を実施する

何か特別な方法を実施するわけではない

習慣を変えるための「技法」といっても、何か特別なことをやるわけではありません。
世の中には「本をすごく速く読む方法」とか「頭がよくなる仕事術」などあり、何やら特殊な練習をしなければならなかったり、特定の人にしか効果がないような方法ばかり紹介されています。
そういうものではなく、自分が日常的に行っている中から取り出すのです。

 

 

自分が持っている資源(リソース)

心理療法の世界で、よく「自分自身が持っているリソースを最大限活用しよう!」というような言い方をします。
リソース(資源)というのは何やらよくわからない言葉ですが、これは個人の強みとか癖とか、その人にしかない要素を使って自分の行動を変えていこうという意味です。

 

市販の「頭がよくなる本」みたいな本にある、ある同じ方法をすべての人に適用するのとは正反対の考え方です。

 

あなたにはあなたにしかない強みやら弱みがあります。

 

たとえばあなたが周囲の雰囲気に非常に左右されやすい人で、家の自室では誰もいないから勉強をさぼってしまうけど、周囲に人がたくさんいるような場所、図書館や電車の中ではよく勉強できる性格だとしましょう。
こういう場合、家に帰る前に、あるいは帰ってからでも図書館に行き、目標の時間勉強し終わったら家に帰ってくればいいのです。

 

なぜか電車やバスの中だと集中できる人がおり(私もそうなのですが)、電車の中で英語の構文や社会の暗記項目などを覚えることができます。
こういう場合、わざと駅を乗り過ごし、戻ってきて無理やり勉強時間を増やすとかができます。

 

「自分はこういう場合に集中できる」というのがあれば、それを積極的に使っていこうというわけです。
それは人によって違います。図書館は静かすぎて集中できない人もいますし、電車の中で勉強などできるはずがないという人もいます。

 

「ある一つのうまくいきそうな方法を、何とかして誰にでもやらせる」のではなく「過去に自分がうまくいった方法があれば、それをもう一度使う」という考え方です。

 

勉強のやり方には人によってベストな方法が違います。
別の人がうまくいったやり方を何とかして自分でもやろうとするより、自分がすでにうまくいったやり方を再びやる方が、成功率はずっと高くなります。

 

こういうのを「その人にしかない資源(リソース)」などと呼んでいるのです。
あなたにしかない資源を最大限利用するのが最も効果的です。

 

 

学校や予備校は個人の資源は無視される仕組み

残念ながら、学校や予備校ではなかなかこういう考え方をしません。
そもそも学校の授業自体が、「ある一つの方法(授業)をすべての人に対して行う」というやり方なので、個人の強みがあってもそれを生かせない場合が多いのです。

 

たとえば人と話すのがすごく好きだけど、文章を書いたり読んだりするのがすごく苦手な人がいたとします。
こういう人が英語を学習する場合、外国人の講師などを呼び、会話しながら英語を覚えていくのが一番吸収率がいいでしょう。
会話の中に受験勉強に必要な部分を入れれば、それで受験対策になるはずです。

 

しかし実際のところ、会話どころかほとんどしゃべる機会もなく、ひたすら紙に書かれた文章とにらみ合って解答するだけ、という授業は少なくありません。
その人に合わないやり方では、なかなか集中できません。

 

このような問題は、心理学の世界(特に認知心理学)では以前から問題視されてきました。
でもこれは学校という、集団で何かを学習させる場においては、やむを得ないことともいえます。
数十人も生徒がいる教室で、それぞれ個人に合わせた授業内容を分けて行っていくとなると、まず教師の人数が今よりもずっとたくさん必要です。
それはシステム上、不可能な話です。まずそんなにたくさん先生を確保できません。

 

個人それぞれが最も吸収率のいい方法で学習できるよう、授業を凝った内容にするには、相当の人数の講師を確保し、物的な準備も必要です。
ものすごいお金と時間と人間が必要です。社会的に不可能なのです。やむをえません。

 

教員の仕事というのが、今やブラック企業を呼ばれるまでにきつい仕事になっています。そんな余裕はありません。

 

しかしこの教育システムがベストでないと文句を言っても始まりません。
私たちは与えられた環境で成果を上げるしかないのです。そういうことは学校を終えても、社会に出ても、どこでも起こり得ることです。

 

現在の学校の授業は、読んだり書いたりすることに偏って重点を置いています。
人と話したり体を動かしたり、会社の仕事では読み書き以外の様々な能力を必要としますが、学校の勉強ではほとんどそういったことは教えません。

 

そしてそこにもやはり個人の好み、それぞれの得意不得意があります。
学校では、読み書きがもともと得意な子が、現在の授業システムにぴったり合っているため、成績を伸ばせる傾向にあります。
逆に、文章や数式は苦手だけれども、人としゃべるのが大好きな子は、現在の学校の授業システムになじみにくく、思うように成績を伸ばせません。

 

そういう場合、「たまたま学校のシステムがあっていた」人たちは高学歴者となりますが、仕事でうまくいかないこともあります。
逆に学校のシステムが合わなかったけれども、たとえば人としゃべるのがすごく好きな人などは、営業で好成績を上げたりします。
学生時代は成績が悪かったけれども、会社に入ってから大活躍する人がいる理由の一つは、こういうものです。

 

ただし学校のシステムが合わず、社会のシステムも合わず、というような人もいます。
学校でうまくいかなかったから、自分は会社ではうまくいくだろうと、安易な期待を持ってはいけません。