美術館へ行こう!(2019年5月2日)

美術館へ行こう!(2019年5月2日)

 

大阪市立美術館へ行ってまいりました。5月2日ということで、ゴールデンウィークのど真ん中です。
GWとなるとみなさん予定を入れられている方が多く、あまり人数は集まらず、とりあえず私ヴァレーとmk-2さんの2人で行くことになりました。

 

しかもなんと、令和が5月1日に始まったので、令和始まってすぐのお出かけイベントでもあります。

 

R・E・I・W・A・! R・E・I・W・A・!

 

めちゃくちゃ人が多かったですorz
当たり前なのですが、GWど真ん中の美術館、しかもかなり有名なフェルメール展がやっているということで来たわけでして、とにかくどこいっても人が多い。
タイミングが良かったのか、なんとか並ばずに入ることはできましたが、中も人でいっぱいです。かなり騒がしかったです。美術館というと静かに鑑賞するイメージがありますが、こういう日なのでしかたありません。

 

さて、フェルメール展といってもそれは美術館のイベントの一つであって、半分くらいはフェルメール以外の美術品がありました。
しかもメンバーが私とmk-2さんなので、創作系の濃い話に(笑

 

作品の時代背景

およそフェルメールと同時期の画家の作品が並べられており、1600年代の作品が多かったです。この時期の作品はリアル志向の作品が多く、20世紀入ってからのような強烈な個性とかはあまり見られません。
ルネサンスが1300〜1500年あたりなので、ちょうどそれが終わった直後くらいです。

 

中世の画家の仕事は「神を描くこと」だと言われていた時期がありました。そのため風景画や日常生活を描くような美術は程度の低い仕事だと思われていました。
しかしこの美術展の作品は「日常生活の人物(宗教的なものではない)」や風景画をメインとしていました。酒場のだらしない人間を描いた作品もありました。当時はかなり珍しい表現だったでしょう。転換期だったかもしれませんが。

 

筆のタッチについての話

「絵が上手になればなるほど、筆のタッチがわからなくなる」という話がありました。非常に滑らかなグラデーションをつけるのは、高い技術が必要と言われています。
ここの作品は、筆のタッチがほとんどわからないくらい滑らかな色の変化で描かれていましたが、写真のようにリアルなものではありませんでした。グラデーションの技術がルネサンスを通じて十分発達していたのかもしれませんが、完全に写真のようにはなっていないみたいで、それが技術的な限界か、それともわざとリアルすぎないようにしたのかはわかりませんでした(美術史にはあまり詳しくないもんで)

 

有名なルネサンスのレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」ですが、あれはミクロ点描画法で描かれたという説があります。
絵筆の先っぽに絵の具をつけ、それを紙に押し付け、また絵の具をつけて押し付けて…という作業を繰り返して、超ミクロの点を無数につけることで滑らかなグラデーションを作るという方法です。
このやり方では莫大な時間がかかってしまうのは当然で、このやり方だとモナリザを描ききるまでには4年くらいはかかるのではないかという話です。現代であればデジタルツールを使えば、滑らかなグラデーションなど一瞬で作れるのですが、ツールの揃っていない時代ではものすごく苦労していたのかもしれません。

 

現代では、あまりに簡単にグラデーションが作れてしまい、タッチが誰でも均一化されて面白くない、そこで伝統的な絵筆のタッチを表現するため、わざわざデジタルツールで絵筆のタッチを作っていたりと、昔とは逆行したツールが作られていたりします。
例えば色鉛筆のようなタッチの表現は、デジタルツールではかなり難しいです。でも色鉛筆には色鉛筆の良さがあり、そこをデジタルでも使えるようにできないか、と。

 

時代に逆行しているような気がしますが、昔は昔で良かったということでしょうか。
音楽でも似たようなことがありまして、例えばピアノの曲をパソコンで表現しようとするとき、わざと音の出るタイミングを少しずらし、人間がやるような「ちょっとした間違い」を含めようとするんですね。
昔の演奏家は、一つの間違いもない「完璧な演奏」を目指していたはずなのに、コンピューターで完璧な演奏が簡単に表現できるようになってしまうと、今度はわざと間違わせて人間らしい演奏にするという。
「間違いを全て無くすことが私たちの目指していたところなのか?」という根本的な疑問にたどり着きます。

 

 

彩度・明度の表現

特にフェルメールの作品に言えたことですが、明暗と色彩のはっきりしたコントラストが見られました。
特に、背景がかなり暗く(ほとんど真っ黒)描かれており、人物、特に主要となる人物は鮮やかな服を着ていたり、肌の色も明るく描かれていました。
主要な題材を明るく鮮やかに描くというのは絵画の基本ですが、その対比が実にはっきりしています。
そしてこれも話題に上がったことですが、これは写真では表現できないことだな、と。
何かと言うと、写真だともっと全体が暗くなっていたということです。
この時代は電気がなく、ろうそくやオイルランプを使っていたと考えられます。したがって現代よりも、部屋の明るさ(特に夜)は非常に部屋の中が暗かったと考えられます。
写真で撮ったらもっと暗い画になっていただろうな、と。写真は人間の目ほどダイナミックレンジ(感知できる光の明暗の範囲)が広くないので、暗い部屋で写真を撮ると全体が暗い絵になってしまいます。最近ではハイダイナミックレンジという技術もあって、相当のダイナミックレンジを写真で表現できるようになりましたが、これもつい最近の技術です。
ある意味、写真では表現しきれないものを美術家が表現していたということになります。

 

時代の技術と芸術家のスタイル

教会の建築物などは面白い表現がたくさんあります。特に遠近法は建築技術の発展と同時に発達してきた感じがあります。
しかしこれを私が見ると「3DCGで建築物作って、ゲームにして中を動き回りたいなぁ」などと考えてしまいます。実に現代ならではの思考ですね。昔の人はゲームやCGという概念すらなかったはずなので。
個人的な推測ですが、レオナルド・ダ・ヴィンチが現代に生きていたら、3DCGとプログラミングに夢中になっていたんじゃないかと思います。AIに興味を持って、ツイッターでいろいろつぶやいていそうです。ゲーム大好きだったかもしれません。

 

技術と芸術、文化の発展度合いなどは、芸術家のスタイルと大きく関係してきますね。「現代に○○がいたら?」みたいなお話を作ってみると面白いかもです。
たとえばベートーベンが突然タイムスリップして現代に来たら、「みんな不協和音使いまくってるじゃん!俺も使お!」っていって、音楽スタイルにめちゃ影響しそうですね。

 

そういうわけで、いろいろと発見があった1日でした。だからって突然絵がうまくなったりはしないのですが。
終わったら疲れたので2人で喫茶店とか行ったのですが、とにかくあの辺はどこへ行っても人が多くて苦労しました。まじで人多すぎ。GWからずらしたほうがよかったかな・・・

 

今年のGWは、前代未聞の10連休でした。令和元年ということもあり、お祭りみたいなムードになってましたね。
そのぶんGW終わったら一気に現実に引き戻されて気分が落ち込む人もいるでしょうが、懲りずにまた遊びに行って気分を晴らしましょうヾ(*・∀・)/