どんな苦痛でも1か月耐えることができるか?
よく習慣を身に着けるための本で、つらいことでも1か月我慢すればあとは苦痛でなくなるという説があります。
これは確かにその通りでしょう。
1か月くらい同じ生活を繰り返していると、体も心も慣れてきて、確かに苦痛は減ってきます。
その1か月に耐えられれば、の話ですが。
ではどんなに苦痛なことでも、やる気と気合いだけで乗り越えられるでしょうか?
たとえば夏休みに、毎日勉強を18時間やるとしましょう。できそうですか?
たった1か月じゃないか?
人によっては3週間でも十分だという人もいます。
たった20日!
耐えられませんか?
これにさえ耐えれば、今までの「負け続ける人生」から脱出できるのに!
勉強するって、ほかのいろいろな苦痛に比べれば、それほど大したことのないように見えます。
そりゃ確かに、たとえば棒で叩かれる拷問に1か月耐えろと言われたら、どうやったって無茶な話です。
でもここでの課題は勉強です。
勉強って学校でずっとやってるじゃないですか。それを家でもやるだけのこと・・・
1か月くらい、気合だけでも乗り切れるだろう?
しかし結論からいうと、ほとんどの人が耐えられません。
勉強の苦痛に耐えるには1か月は長すぎる
私は予備校時代に、予備校の合宿というのを経験しています。
真夏ですが、山奥の合宿所に缶詰め状態にされ、ひたすら勉強しまくります。
だいたい1日10時間くらい勉強します(朝3時間、昼4時間、夜3時間)
これはたったの2泊3日だったのですが、合宿の最終日、私は疲れ果てていて声も出ないくらいでした。本当に疲労しきっていました。
それは合宿に来たほかの生徒たちも同じでした。
実際のところ、たった3日でさえこれほど長く感じるものです。
1か月といえば、これを連続10回繰り返し・・・
これを家でやれといわれたら、恐ろしく難しいことに思えます。
家では合宿と違い、強制力のない状態。勉強しなくても誰も文句は言わない、だからこそ余計に難しい。
この状態で自制し、1か月の間、1日10時間くらい勉強。
頭の中ではなんとなくできそうな気がします。
これからの長い人生が変わるのだと思えば。
今の一瞬に耐えさえすれば。
わかっているのに、ほとんどの人が挫折するのです。
明日の感情は約束できない
「人間、明日の行動は約束できるが、明日の感情は約束できない」
という、有名なニーチェの言葉があります。
私たちは、行動は約束できます。明日遊びに行くからここで待ち合わせしようとか、明日の取引はこの銀行でとか、約束はいつも行動でなされます。
ところが感情というのは、明日どんなふうになっているかはわかりません。
「明日のこの時間は楽しい気分でいよう!」といったところで、その通りになるでしょうか?
明日はもしかすると授業で先生に当てられ、答えを間違って大恥をかくかもしれません。
明日はもしかすると仕事でミスして上司にひどく怒られるかもしれません。
明日楽しい気分でいようと思っていても、どうなるかはわからないのです。
もし今何か勉強本を読んだり、友達を励まし合ったりして非常にハイテンションで、「勉強できる!1日18時間でも自分ならできる!」と思い込むかもしれません。
でもその「気分」は、あまり続かないのです。どんなハイテンションでも、1時間続けばいいほうでしょう。
残り17時間はそのハイテンションなしで勉強を続けばければなりません。
テンション任せに勉強を始めても、あっという間に元に戻ってしまうのはこういう理由です。
もう少しいうと、気分というのは血液中の成分によって変化します。アドレナリンとかそういう物質です。
勉強してじっとしているとそのうち興奮物質も出なくなるので、気分は平静に戻ります。
したがって勉強を継続するのに必要なことは
気分が上がっていようが落ち込んでいようが勉強できるようになる
ことです。