無価値への対処

「無価値」とは?

1.無価値・無力・絶望への対処が済んでいる

 

のうち、「無価値」という問題への対処を説明します。

 

無価値というのは「勉強して何の得があるのかわからない」あるいは「勉強しなかったらどう損するのかわからない」というところです。

 

勉強というのは、それ自体が楽しいこともあるのですが、ここではそうではなく、苦痛な勉強というのを前提としています。

 

勉強自体が楽しい場合、それ自体が目的になります。
それをやること自体が楽しい場合、それをすることによって「どういう結果が出て、どう得をするか、損をするか」というのは考えません。
勉強すること自体が価値になっているため、「無価値のためにやる気が出ない」という問題は生じません。

 

そうではなく、勉強自体が苦痛である場合「それによって将来生じる何かいい結果」がはっきりしないことには、続ける理由がありません。

 

それを体験的か、あるいは知識としてでも知っていないことには、勉強する気が起きないのは当然です。

 

 

価値観は長年の蓄積でできあがっている

人間の価値観が変わるには、それ相当の「経験」「実体験」や、あるいは「情報」が必要です。

 

もともと価値観、つまりその人の人格、物の基本的な考え方というのは、簡単に一瞬で変わるようなものではありません。
人の価値観は、その人の家庭環境、学校の雰囲気、職場や交友関係などの長年の蓄積で完成されたものです。

 

また小手先のテクニックで人の価値観を変えることができるとしたら、それはある意味危険なことです。
そのテクニックを使って、ふつうの人たちの考え方を容易に変えてしまうことができてしまうと、私たちはすぐに悪い思想に染まったりしてしまいます。

 

価値観が多少のことでは変わらないということは、私たちの心を守るための本能の働きともいえるでしょう。

 

 

情報を得る

ところで人の価値観というのは、長年の本人の「実体験」というのも重要なところですが、知識として得るような「情報」もかなり影響します。
たとえば私たちは、中東やヨーロッパで起きている武装テロが恐ろしい事件だということを知っていますし、アフリカの人たちが渇きや飢えで苦しんでいることを、まるで自分自身の苦しみのように感じることができます。
そのような情報をテレビや書物で得ることでも、私たちの価値観は変化します。

 

勉強してどのように将来役に立つか、あるいは勉強しないと損をするかという「情報」を、事前にできるだけたくさん得ておくことで、勉強に対するモチベーションは大いに上げることができます。

 

この「無価値」という問題を解決するため、特に学生においては、将来の情報が得られるよう、このサイトの後半に大量に記述しておきました。

 

まずは「なぜ勉強したら将来役に立つのかよくわからない、だからやる気が出ない」という人は、このあたりを読んでみてください。

 

こういった、知識不足により必要性が分からず、やる気が出ずにあとで後悔するという事態は、特に社会に出たことのない学生に起こりやすい問題です。
おそらく社会人で、資格試験を受けようという方は、このような問題で悩むことはあまりないでしょう。
資格試験というのは、高校や大学受験に比べるとその有用性が分かりやすい内容だからです。

 

 

情報と自分自身を結びつける

特に学生の方は、社会の仕組みについての知識を得るとき、自分自身とどう結びつくかを考えたほうがいいでしょう。
まず人間、自分自身とかかわりのないことには、あまり真剣にならないものです。動機としても弱いです。

 

たとえば少子高齢化問題というのが今叫ばれていますが、これは具体的に私たちにどう影響してくるのでしょうか?
学校で習うことがあっても、具体的に自分の身に「どうダメージが来るか」までは、教科書では教えたりしません。

 

少子高齢化が進むと、国内で働き手が減るため、社会保障などに回すための税金の総額が減ってしまいます。
そして高齢者の生活は主に年金によるものなのですが、年金というのは国民が国に貸しているお金のようなもので、税金から出てきます。
ところが貸しているといっても、額がはっきり決まっているわけではありません。「だいたいこれくらい貸してる」というような状態です。

 

簡単にいえば、税金が減ると年金が減るのです。これからの高齢者は、年金だけで生活できなくなります。
すると未来の高齢者、つまり皆さんの両親が生きていくためのお金が足りなくなります。
そのお金は、もし両親が十分な貯金や資産を持っていない場合、皆さんが両親にお金を出して生活させなくてはなりません。
働けるようになった子供は働けなくなった親を養う義務もあるので、親を放置して死なせたりすると通常、犯罪になってしまいます。

 

それはたとえば、皆さんの給料が少なかったりすると、自分も親も使える金が非常に少ないまま、ギリギリの生活をしながら生きながらえていく、という状態になるかもしれません。
ギリギリの生活というのは、たとえば夏に暑くても冬に寒くてもエアコンが使えないとか、ガンになっても手術代が出せずに死ぬしかないとか、親が寝たきりになってあなたが仕事から帰ってもずっと親の介護をしつづけ、自身も過労状態になって40くらいで心臓発作で早死にするとか、そういう可能性があるということです。

 

勉強していい会社に入り、高給取りになっていればこんなことにはならなかったかもしれません。

 

これらはたとえばの話ですが、実際そういうふうになっている人もいます。
自身も親とも生活ができなくなり、親を殺して自分も死んだというような心中事件がありますが、原因はこのようにお金がなかったことによります。

 

このように、勉強で得た知識は自分自身の生活と結びつけないといけません。そうでないとやる気が出ません。
また知識や情報というのは、基本的には自分が困らないように、自分を守るために得るためのものです。
なんとなく持っているだけでは意味がないのが知識というものです。

 

社会人の知識については、後の「社会人の基礎」の章をご覧ください。

 

 

心理療法の最初の段階で「情報提供」が行われることが多い

心理療法というのは主に医療的な目的で行われているのですが、実は病的でない人もたくさん相談者として訪れてきます。
病的な場合はそれ相当の専門的な治療が必要ですが、そうではなくていわゆる普通の人に対しては、病的な人と同じ方法で対処することはできません。

 

それで普通の、いわゆる健常者に対してよく行われる対処法としては、単なる「情報提供」というのが多いです。
実際、情報が少ないために悩みが取れない、ということは多いのです。

 

なので心理療法を行う治療家は、世間知らずでは務まらない、ということでもあります。
人生経験豊富な治療者なら、健常な人を相手に情報提供だけで問題が解決することも多いのです。