絶望・無力への対処:「私はだめな人間だ」という認識がある場合

自分はダメな人間だ?

「私はだめな人間だ」というのは、「私は勉強ができない人間だ」というのとはまた異なる認識です。

 

「だめな人間」といういい方は、勉強以外でも能力が低いように聞こえます。
いわば、何をやらせてもだめな人間というふうに聞こえてしまいます。

 

多くの人では、何か一つくらいは秀でている部分があります。
それは人生の重要な部分でなくてもいいのです。
たとえばゲームが得意だとか、あのアイドルのことなら何ても知ってるとか、マラソンだけは得意だとか、日本の3000メートル越えの山の名前を全部知ってるとか、何でもいいです。

 

別にその世界で1番である必要はありません。
ほかはすべてだめだけど、「マラソンだけは平均並み」でもいいです。平均でも立派なものです。

 

よくよく考えてみると、「すべてにおいてダメな人」というのはめったにいません。
それにもかかわらず、こういう言葉を使うとまるで「すべてにおいてだめな(能力の低い)人間」と聞こえてしまいます。

 

単なる言葉だと思ってあなどってはいけません。
こういった認識は、あまり真に受けると本人のやる気に重大な悪影響があります。

 

それは他人に言われた場合でも、自分でそう思う場合にも、当てはまります。

 

 

どこがだめなのかはっきりさせる

こういう思い込みがある場合、さらに詳しくさせるための質問することで、悪い思い込みをある程度治せます。
つまり「具体的にどこがだめなのか?」と質問します。そしてそのだめな点をはっきりさせます。
だめな点をはっきりさせることは、逆にいうと「それ以外はだめではない」という意味です。そこをはっきりさせましょう。

 

具体的にどこがだめなのかをはっきりさせるとき、「勉強が苦手」ではなく、より具体的に、苦手な科目などもはっきりさせておきましょう。
すべての科目が苦手ならそれはそれでいいのです。肝心なことは「自分はすべてのことが苦手ではない」という認識を持つことです。

 

苦手部分を明らかにすると同時に、別に得意ことも明らかにします。
スポーツでも雑学でも、何でもいいです。
こういう質問に答えることで、自分の中にある無力感というのも少しずつ解消され、やる気も出てきます。