家庭環境の影響とその有利不利について

接触時期が早いほど基礎的な情緒への影響が強い

価値観とは少し異なるのですが、人間の基本的な情緒というのは幼少期に形成されるといいます。
特に小さければ小さいときほど重要で、生まれて最初の1年、長くても2年程度が最も重要といわれる時期です。
そしてこの時期に育て方を間違うと、生涯修正不可能になるといわれています。

 

発達心理学でよくいわれることですが、赤ん坊というのは泣くことしかできません。
おなかがすいても眠くなっても、何か不満があると泣くのです。それしかできません。
泣くとお母さんが助けに来てくれます。食べ物を与えられたり、布団に入れられたりします。

 

もし赤ん坊が泣いても誰も何もしなかったらどうなるでしょうか?
大変かわいそうな話ですが、過去にはたくさん実例があります。赤ん坊はそのうち泣かなくなります。

 

なぜかというと、お母さんに助けてほしいから泣くのであり、泣いても無駄だと理解してしまうと、もう泣かなくなるのです。
そしてそのような子供は成長してどのような人間になるかというと、愛情とか良心とか慈悲の気持ちとかが、体感的に理解できない大人となります。

 

母親から愛情を受けられなかったために、愛情というものを学習できなかったのです。
心理学ではよく、家庭は愛を学習する場といわれますが、その機会を失う子もいます。

 

そういう人たちの中から、たとえばある人は凶悪殺人犯となり、ある人は無慈悲な会社経営者となり、ある人は刑務所を出たり入ったりしています。
そのような多くの人たちは、社会に順調に適応できず、何らかのアウトローな人生をやっていることが多いです。

 

犯罪心理学で凶悪殺人犯の経歴を研究してみると、ほぼ100%の確率で家庭環境に重大な問題を見出すことができます。
程度や内容の差こそあれ、多くは虐待や育児放棄など、非常に苛酷な幼少期を過ごしています。

 

人間、成長してからは過酷な目にあっても平気です。
会社に入ると殺人的なスケジュールに追われたりしますが、だからといって良心とか愛情の感覚を丸ごと失うとか、そんなことは起こりません。

 

しかしおよそ5歳くらいまでの家庭環境というのは、致命的に育て方を間違うと、本当に取り返しがつかなくなります。

 

 

段階を飛ばして心は成長できない

発達心理学では、段階を飛ばして心は成長できないとよくいわれます。
赤ん坊は泣いて助けを求めますが、これが「無条件の愛情」というものを学習する最初の機会です。
この時期に失敗すると、それ以上の心の成長ができません。

 

この時が原因で生じた性格異常を治すためには、再び誰かが長い時間かけて、無条件の愛情を与え続けるしかないといわれています。
それがたとえば、10代後半くらいで狂ったように誰かに愛情を求めるという行為で現れることがあります。
典型的によく見られるのは、10代から20代あたりの少女〜女性が、ものすごい勢いで彼氏を作り続けるということがあります。
そしてその付き合い方も普通ではなく、彼氏の目の前で手首を切って見せたり、睡眠薬を大量に飲んで倒れたりと、自殺未遂のようなことを繰り返すことが多いです。
こういった症状を「境界性人格障害」と呼びます(世間では俗に「かまってちゃん」などと呼ばれたりします)
人格障害というのはいわば性格異常のことです。

 

なぜこのような行為を繰り返すのかというと、自分を傷つけて他人に心配させることにより、その人が自分を助けてくれるかどうか試しているといいます。
幼少期に受けられなかった母親からの愛情を求めるかのごとく、それを彼氏から受けようとします。
つまりこの少女は、幼少期に受けられなかった母親からの「無条件の愛情」を、まだ求め続けているのです。
手首を切ることで、また睡眠薬を飲むことで、たぶん彼氏は仕事を中断してでも助けに来てくれます。
その助けによって、自分に愛情が向けられていることを確認し、安心します。

 

しかし現実には、母親と同じくらい無条件に助けてくれる人はまずいません。
付き合っている彼氏も、そのうち疲れて離れていきます。
そしてまた新しく彼氏を作り、また別れて新しく・・・というのをずっと繰り返し続けます。

 

こういった人格障害に対し、対処方法といえば「愛情を与えて育てなおすこと」などと本には書いてあったりするのですが、それがたとえば20歳を超えているような人に、そのような無条件の愛情を母親のように与え続けることなどできるのでしょうか?

 

現実に不可能なことは明らかです。このような一般の対処法は、あまりに現実離れしていて役に立ちません。
実際のところ、こういった問題は一生解決しないことがほとんどです。
それでも歳を取ると、それなりに愛情を求めるエネルギーなども減ってくるため、徐々におとなしくなってきます。
そして若いころに無茶をした代償として、病気にかかったり生活能力をなくして、さらに孤立していることが多く、どこかでひっそりと孤独死していることが多いそうです。

 

 

家庭環境の流れに逆らうには?

さてずいぶん怖い話をしてしまいましたが、ここまで極端なことは、平均的な家庭環境で育った普通の人にはあまり関係のないことです。
せいぜい「あの子は付き合った人が30人もいるんだって」とか、そういう噂が耳に入る程度です。
もしあなたがそういう人と付き合うことになっても、疲れてすぐに別れてしまうでしょう。

 

ここで私が言いたかったのは、家庭環境というのは人間の基本的な価値観や情緒という、きわめて根本的かつ重要な部分を形成するということです。

 

もしあなたの家庭が高学歴者ばかりで、「勉強して当たり前」のところだと、勉強する習慣をつけるのは割と簡単というか、抵抗なくできます。
でもあなたの家庭環境が、まったく勉強と無縁な場所であれば、学力をつけるためにはその流れに抵抗しなければなりません。
それはなかなか難しく、エネルギーを必要とします。

 

もし自力で人間関係を調整することができれば、いくらか有利な心的環境を作れるかもしれません。
たとえば頑張って進学校に進学するとか、予備校の講習を毎週受けるようにし、「勉強する人たち」の雰囲気の中に入るなどです。

 

学校で勉強する雰囲気が全くなくても、一人くらいは必死で勉強している人がいるかもしれません。
その人と仲良くなり、励まし合いながら勉強を続ければ、これは非常に心強いことでしょう。

 

 

学校や職場環境

家庭ほどではありませんが、学校や職場というのもそれなりに価値観やものの考え方に影響します。
それはもちろん、そこにいる時間が長いからです。そして学校や職場内で、多くの第三者との関わりがあります。それら人間関係から受ける影響も、十分大きなものです。

 

学校や職場という環境は、たいては家族ではない人たちに囲まれています。
そのためある種の厳しさや緊張感があります。学校は世の中に出るための訓練的な場所でもあり、職場はその実践とも言えるでしょう。